小学生の頃からの柔道少年で、空き地にプレハブを建て近所の子供達に柔道を教えていました。
最初の始めたのは「ホットドック」。
25歳の時、結婚したのを期に、従業員に機材すべてをゆずり渡して辞めました。
それでも、数人の従業員が私についてきてくれて、その人たちの為にも、何か新しい事業を始めなければと思い考えだしたのが「巻き寿司」の販売でした。
知り合いの寿司屋に巻き寿司だけを作って貰い、それをパン屋に卸して売りまくりました。
50本×10店舗分の巻き寿司があっと言う間に売り切れ、そこから商品拡大して行きました。
助六寿司、おいなりさんなどの販売を行い、バッテラなどのバラ寿司が大ヒット。
しかし、大手のパン屋が寿司の取り扱いを始めたので、見切りをつけて会社を売却。
握り鮨・どさん子ラーメン…などを経て、痩身器具の営業で、ビルを建てました。
そのビルの一階を道場にして、柔道を教えていたら、そこに来ていた若者たちが、
「何か商売をやりたい」
と言いだします。
当時、コンサルをしていた生鮮スーパーの居酒屋業態部門に推薦し店長経験などをさせていたのですが、そことのコンサル契約が切れたので「焼肉店」を始めることになります。
たれを命がけで作りました。
とにかく食べ歩き、「これだ」と言う味を自分で作りました。
舌が痺れるほど一日中試食し、病院に行った時、先生に、
「このままでは舌癌になる」
と本気で言われました。
でもそのおかげで、
「本当に誰もが旨いと言ってくれるたれ」
を開発する事が出来ました。
「焼肉店」が軌道に乗ってきたので、そこは若者たちに任せ、自分は焼肉店「登龍門」のチェーン展開をすることになる訳です。